会話のなかにやたらに「お兄ちゃん」の登場頻度が高い。呼称もなんかおかしい。両親のことは「父」と「母」なのに、兄だけが「お兄ちゃん」である。ちっさい子がいっしょうけんめいなんかしゃべっていて、やたらに「お兄ちゃん」が登場する。しかし内容はといえば、たいていは兄のことを悪く言っている。

 俺のセンサーが動いた。センサーはどこにあるかというと、前立腺のあたりにある。幻想の妹を持つお兄ちゃんにはみんなこのセンサーある。そのセンサーが俺に以下のセリフを口走らせた。

「しかしお兄ちゃんと仲いいんだね」

 返ってきた反応がやばかった。Mさんは噛み付くように言った。

「まさかぁ! そんなことぜんっぜんないですよ! 気きかないし妹にやさしくないし、なんかだらしないし。このあいだも私が家に帰ったときにお兄ちゃん家にいなかったんですよ。なんか友だちとごはん食べに行ってたとか言って。ひどいと思いません?」

 センサーがじっとりと汗をかいた。

 やばい。本物だ。

 どんだけだ。

 しかし反応には困る。そうだねひどいねとも言いがたい。かといってお兄ちゃんにはお兄ちゃんの事情があるんだろうしとも言えない。窮した俺は話の方向を変えた。

「Mさんお兄ちゃんのいくつ上?」

「6歳ですよ」

「ほう……」

「6歳も上で、向こうは社会人なんだからもっとやさしくしてくれてもいいと思いません? このあいだも夜にカップ麺食べたくなったからお兄ちゃんに買ってきてって頼んだらいやだって言うんですよ?」

「そりゃめんどくさいんじゃない?」

「でも私が頼んでるのに」

 すんげえセリフだなそれ。

「で、結局どうなったの?」

「買ってきてくれました」

 頭かかえたくなった。これはひどい。いやだって言われただけでヘソ曲げる妹さんもたいがいだが、結局は買いに行くお兄ちゃんもどうなんだ。甘やかし放題である。

「カップ麺おいしかった?」

「お湯はお兄ちゃんが入れてくれました」

 おいこらお兄ちゃん!! そしてこの妹、話の軸がお兄ちゃんからまったくブレねえ。これはとんでもない物件が店のなかに潜んでいた……。

ただ、世の中には「昔はよかった」と言いたがる人が、
「昔はよくなかった」と言う人よりも多そうなので、
ぼくとしては、できるだけ「いま」のほうに、
肩入れしようとします。
ずいぶんよくなったものだよなぁ、と思うことは、
いっぱいあるんですよ。

昔の「公衆」が集まる場所は、だいたい最低でした。
公衆便所は汚れていました。
そこに入るくらいならもらしてもいい、と思うくらい
とんでもなく汚い所もありました。
映画館なんかも、椅子はギシギシいってたし、
便所の悪臭やタバコの煙の匂いが充満していました。
いまの映画館や劇場なんて、
たいていの観客の自室よりきれいでしょう。
 
電車だとか、汽車だとかでも、
混んでいるということの限度を超えていて、
いまだったら考えられないくらい押し合いへし合いして、
もっと憎悪が渦巻いていたような印象でした。
いまの乗客は、よく譲りあってると思います。
雨の日の道路はぬかるみだらけでしたし、
そこを通るクルマは泥水をはね上げていました。

なんか、「公衆」というか「大衆」というか、
人がおおぜいいるという所は、いやな場所でした。
いまは、まったくそんなことないでしょう?
少しずつ少しずつ、よくなってきたんですよ。
やっぱり豊かになったのは経済ばかりというけど、
並行して豊かになったものも、あるんですよ、きっと。
ぼくは、あんな公衆便所に入りたくないし、
映画館にも行きたくない、電車だって乗りたくないです。
なつかしいなぁとも、思えないんですけどねぇ。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次 09/10/20 (via tsavorite) (via nemoi) (via kuj) (via nosouth) (via gkojax)
2009-10-22 (via gkojay) (via takaakik) (via mitaimon) (via e-karma) (via onhook) (via tutshie) (via itsushi) (via mayoreta) (via shortcutss) (via yellowblog) (via kotoripiyopiyo)