“763 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2010/10/17(日) 11:40:18 ID:Bnoh1c3e
ジャップもジャパニーズを短くしただけですがOKですか?


785 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 15:34:02 ID:TN+3YFpY
»763
それがアウトだったらコッチが米人とか訳すのも無礼に当たるのだろうか。異文化の感覚はよくわからんよな
特に日本語だと長い単語を四文字に短縮することが多くないか?


792 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 19:06:59 ID:sQB3wMQh
»785
これは日本語と英語の違いをまず理解しなければ、分からないだろうな。
すまんが、ちょっと長いよ。

英語では、単語の長さに関する感覚は、シラブル(=音節)数に依存する。
文字数ではない。シラブル1個が日本語のカナ1文字に相当する。
Japan なら、Ja/pan で2シラブル、日本語でカナ2文字に相当する。
get, have, push, like, love, this, it, I, you, he, her なら、1シラブル、カナ1文字相当。
英語には日常で多用する単語の多くは1シラブルで表現可能。
凄くないか? 日本語でいうなら、「あ」、「か」1音で日常使う動詞、名詞、代名詞とかを
表現できるってこと。日本語では不可能。
英語では、もともと短いシラブルで単語を表現可能。シラブルの種類は3000~5000もあると
言われている。だから、たった1シラブルで少なくとも3000個の単語を作れる。
日本語はどうかと言うと、日本語のカナが日本語でのシラブルだ。50音+αで
200種類のシラブルが日本語に存在すると言われている。

つまり、1つのシラブルが表現できる組み合わせは、日本語では最大で200個程度。
じゃ、日常的に使う単語を表現するためには、単語の数を超えるシラブルの組み合わせが必要。当然だよね。
日常的に2000語を使うのなら、シラブルを組み合わせて、組み合わせ数を2000以上にする
必要がある。だから、日本語では、日常的に使う単語でさえ、カナで2文字~6文字程度も必要。
つまり、2シラブル~6シラブル程度必要。長いんだよ。カナ1文字の名詞、動詞、形容詞は
日本語では殆ど無い。
一方、英語はシラブルの種類が3000以上あるから、たった1シラブルで日常語を表現可能。


793 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 19:09:38 ID:sQB3wMQh
従って、日本語では、日常語でさえ長いので、短くするのが当たり前であり、短くすることによって
意味は変わらない。
外国車も外車も意味は変わらない。小学校生徒も小学生も意味は変わらない。
日本語では、短くすることによって少し口語的になるだけだ。
だが、省略バージョンの単語も使用頻度が高いと正式文章で使える単語になる。「小学生」、「大学生」は
公式文章でも使えるだろ?

英語では、もともと単語のシラブル数は短いので、短くする必要性が無い。
JapanをJapに短くする必要性がない。もともとたった2シラブルの短い単語なのだから。
そこで短くすることによって、英語では相手を軽んずる、つまり軽蔑語になる。

だから、外人どもが言う「外人という言葉は差別用語です」というのは、
英語の言語感覚で日本語の単語を非難するという馬鹿げた話なのです。
日本語には、短くする = 侮蔑、嘲笑する という機能がないのに。
だから、外人が「外人」という単語について文句を言っていたら、大いに反論して下さい。
というのは、外人さんのこの感覚を利用して、日本人は差別社会だと印象づけようとしている
勢力が存在するのです。TV、タレント、議員、そこらじゅうにいる。反論して下さい。”

雑文(文章に脈略ない)

一時期はスクフェスにハマり、それこそ一日中やってた時期もありましたが、ソシャゲ熱もそろそろ個人的に下火になりつつある今日このごろです。

先日実家に帰省した際、アメリカで不動産関連の商売をしている人がいるから、今度日本で会って勉強がてら話をしてみてはどうか、というお誘いを頂きました。

二年くらい前なら即決して行くところですが、今は迷い中です。

今の大学に入る前は意識高い学生みたいなのもやってまして、世界一周行った人や、実際に世界でお仕事をなされている方のお話を聞きに行ったりもしてました。海外で働くのって、なんかかっこいいなー、とか思ってました。

こういうお話を聞く場合、自分が何を学びたいか、どういう話を聞きたいか、という事を明確にしていなければ、結局皆同じようなお話しか聞けず、自分の身にならないというのが個人的な経験則です。ぱーっと行って話を聞いて帰ってきました、ではお話にならない。当たり前ですが。

最初このお話を聞いたとき、アメリカで不動産、もしくは証券情報を流すお仕事、と言われてもあまりピンと来ませんでした。

というか、もっと大事なのは何がしたいか、何をするかであって、海外云々とかどうでもいいんじゃないか、と思っています。

前述の通り、一時期は海外で働くってかっこいいなー、とか思ってましたが、実際はそうでもないんじゃないかと。

海外の企業って何かオープンで風通しが良くて、実力主義でかっこいい、とか思ってたんですが、今は日本でもそんな企業が増えてきていて、別に海外にこだわる必要なんかないんじゃないかなー、と思っています。

日本的なしがらみとか、そういうのが嫌いなら、そういう習慣が少ないであろう企業に働きに行けばいいし(できるかどうかはともかく)、土地にしばられるのって、あんまり意味ないかな、と。

別にどこで働こうが、結局面白ければどこでもいいんです。面白ければ。

件の岡谷

グリーン車はトラブルを遠ざける

サービスを提供するときには、「グリーン車」に相当する選択肢を用意しておくことは大事なのだと思う。

キレる高齢者に道理を説いても、それが通じる可能性は少ない。道理の受容はある種の敗北であって、高齢の人にはもう、負けを呑むことで人間的に成長する余地なんて残っていないだろうから。

「それは公平の原則に反する」という人はきっといるであろうにせよ、グリーン車に相当する選択肢を用意することで避けられるトラブルは多いのだと思う。グリーン車は、対価を支払ってでもそれを必要とする人にだけでなく、それをいらないと思う人にも理性を喚起する効能が期待できる。

お店を開いている限り、横車を押すお客さんをゼロにはできない。閉店間際のラーメン屋さんで「ステーキ作れよ。料理人だろ」と言う人に、「うちにステーキはありません」と突っぱねればトラブルになるし、同じ文言を最初から貼っておいても結果は変わらない。文言をたとえば、「ステーキできます。1万円です」と変更すると、理不尽に対するある種の抑止が期待できるようになる。

何かを求める人に対して「できない」という返答を返すと、それを呑んだお客さんは負けることになる。負けたい人は少ないだろうから、結果として掛け金は釣り上がる。

よくある理不尽に対して、あらかじめ値札を用意しておけば、たとえばお客さんは「この店のステーキに1万円の価値などありえない」と、お店の値札を値踏みする。値踏みは勝利への道程で、勝つ目を見た人は理性を取り戻す。

「お客さんの財布から可能な限り多くのお金を引きずり出す努力」というものが、結果としてその場で感覚される不快の可能性を遠ざけてくれるのだろうと思う。

“「・・・『エマ』の次だから今度はもっと露出度の高いマンガを、と依頼したんです。そしたら森さんが提案してきた『乙嫁』はむしろ厚着になってて『違うじゃないですか』と言ったら、『なに言ってるんですか、着込んでるのを脱がすのがいいんじゃない!』と言われ『なるほどそうか』と。これが、この連載が始まった経緯です」”